使いやすさ
先日、富岳の紹介記事があり、簡単ではありますがスパコンやセンター長の歴史を振り返りながらの紹介記事がありました。かの有名なフレーズに臆せず(と言うか抗って)1位を獲得した京コンピュータ、そして富岳へとつながり、今後の展望と言う流れだったかと思います。富岳で言われるのは”使いやすさ”という点です。それまでのスパコンは、その特殊なアーキテクチャもあり使いにくいとされていました。これは、自分の周りの環境とかけ離れたものになっているので、何から何まで再構築しないと行けなかったからです。プログラムは、自分で書くコードの他にライブラリーと言うものを使います。例えば、四則演算です。ほとんどの場合、四則演算ライブラリー(一般的には他の関数も含めて数学ライブラリーになっています)は用意されているのでX=y+zと言う式を書くだけで計算ができますが、ライブラリーがないとそこから書かなくてはなりません。WindowsやLINUXなどとのライブラリーの差が大きいと使いにくいということに繋がります。誰もそんなところから自分で書こうとは思わないですよね。商用のプログラムはいろんなことに気を配るためこのライブラリーの依存性がやや高めです。なので、スパコンで動かそうとするとあれが無い、これが無いとなって動かないことになり、使いづらい官のソフト(ごめんなさい)しか動いてない、つまりスパコンは使いにくいとなるわけです。大学の研究者は自分たちが使えるリソースが増えますので喜んではいるでしょうけど、それだと産業界に貢献していないということになり予算が絞られます。でも、それだけではありません。確かに富岳はスマホのアプリがそのまま動く(らしい)使いやすさはあると言えますが、それでは富岳のパワーを享受できません。やはり、富岳に合わせたコードを書かないとスパコンを使ったという事にはなりません。揶揄するつもりはありませんが、こういう視点が必要ではないかと思います。というのも、コンシューマ向けパソコンでも同じことが言えるからです。コアとスレッドの概念はやはり一般的には分かりにくいと言えるでしょう。ウン十年前のように、1CPU1コアの世界が懐かしい。まぁ、その時代だと整数演算が速いだと浮動小数点演算が速いとか同じようなことコンピュータ屋さんは言っていたものですが。。